勇気も愛もないなんて

たまにしかあらわれない

壁の向こうに取り残された私たちへ NICO Touches the Wallsの『終了』に思うこと

それは、突然やってきた。
もちろん兆候みたいのがなかったわけじゃないですよ、不穏だった。でもあんまりにも突然だった。

こんな、紙ペラ1枚で。

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まだ10日しかたっていないけれど、毎日あれは夢だったんじゃないか、誰か冗談だよ、嘘だよって言って欲しいと思ってはなにも変わらないまま時間が進んでいくことに虚しさばかりが増していく。

感謝してることもたくさんある。色んなところに連れてってもらった。色んな人と出会わせてくれた。でもそんなの初めて来たライブハウスの前で、遠くから来た友達と会う時、いつだって思っていたことだ。だから改めて感謝なんてしない。そう、ありがとうなんて言ってやるものかとしか思えない。

出会いはpassengerの追加公演。急な誘いにはあまり乗らないたちの私が何故かその時は行きたい、と思った。もともとGRAPEVINEが好きだったので名前だけは知ってる、程度の知識しかなかった(光村が田中におみつと呼ばれてるのがなんかすきだった、だから今でも私は彼をおみつと呼んでいる)。
こんなバンドだったのか、とZEPPの後ろで大分感心したことを覚えている。今時珍しい歌物の、どこか懐かしい雰囲気も感じさせるような、正直若さをあまり感じさせないバンド(失礼)。「行方」だったかな、ライブハウスの壁に跳ね返って消えていく最後の瞬間まで美しい声だと思ったのを覚えてる。

今までだって音沙汰がなくなることはあった。よくよく考えるとあんなにスタジオに篭ってるバンドもなかったんじゃないか。まるで冬籠りして余力を蓄える獣のように姿を消して、やっと出てきたとおもったら私たちを置き去りにするかのように恐ろしい成長を遂げて、また地下に帰っていく。
既存曲のアレンジの仕方といい、それぞれのスキルの上昇具合といい、世間の評価とはかけ離れたものをもったバンドだったと思う。

何を話し合って、何を決めたのかはわからない。私たちには何もわからない、だって示されたのはあのクソみたいな文章だけだったのだ。
あなたたちにとって、「壁」ってなんだったの?バンドでいることが「壁」だったの?じゃあ、ニコと言うバンドがあなた達の壁だったの?それを続けて欲しいと望む私たちも壁なのか?そんな思いが頭をグルグルしている。せめてあの一文さえなければ。NICO Touches the Wallsというバンドにとってあまりにも、あまりにも大事なチャプターだった「壁」という言葉をあの文章に使う意味、それさえわかれば何とか納得できるのに。

続かないなんて思いもしなかった。壁は乗り越えるものでも立ち塞がるものでもなく、ネガティブでもポジティブでもなく、ただそこにあるものだと思っていた。彼らにとっても、私たちにとっても。だから今、私たちはなんだかよくわからない力で壁を乗り越えてしまった彼らの姿をを見つけられないまま、壁のこちら側でただ呆然と取り残されている。それを彼らは、気づいているのだろうか。取り残されてどうしたらいいかわからないわたしたちに、気づいているのだろうか。
(気づかないようにしているのか、と思いもしたけど、1125の日にあげられた古さんのインスタを見るともしかしたら皆納得してると本気で思ってるのかもしれない、と感じてしまった。または私たちみたいな未練がましいのを切り捨てたいのか?そこまではないと思いたいけど)

11月15日から2回、他のグループのライブを見た。ひとつは「バンドを続ける」ということにずっと執心して、他に仕事を持ちながら20年近く活動を続けているバンド。もうひとつは女子アイドル、それこそ十代の若い子たちではないけれど、この4人でしか出来ないことを、スタッフもガッチリとかたまってしているグループ。
ワンマンくらいでしかやらない初期の盛り上がり曲の歌詞に、ツアーで、これから登っていくしかない女子ドルたちのエモいやりとりに、それぞれどうしてもやられてしまって涙が流れた。
『僕はただのバンドマンで星なんかじゃないからね』って、ずっと言っててほしかった。
この4人だから何でもできる、そういうライブで、4人で目配せして楽しそうに笑う、あの瞬間をまた見たかった。

どうにもならないことはわかっている。バンドというのは本人たちのもので、私たちはそれをただ眺めていただけだ、というのもよくわかっている。
不器用なバンドだった、というのも承知の上だ。でもその不器用さは今まで、新しく作られる曲、地上に這い出て思いがけないアイデアと技量で上書きされるライブでチャラにされてたものだ。
だから、もし願わくば、教えてほしい。もしこのまま、あのペラ紙の言葉だけで終わるのだとしたら。もう少しだけ言葉を尽くしてほしい、これ以上NICOとして音楽を奏でる気がないのなら。壁のこちら側に閉ざされて、わからないまま立ち尽くしている私たちに。

あなたたちにとって壁って、なんだったの?
NICOはあなた達にとって、何かを遮る壁だったの?
あなた達の前に立ち塞がり、また寄りかかる術でもあった壁すらも愛していた私たちは一体どうすればいい?

納得なんて一生できないかもしれない。お洒落でもスマートでもなかった、流行りの音楽でもなかった。ただがむしゃらでまっすぐでそのくせ天邪鬼で、同じ曲でも絶えずアレンジは変わりその度に印象を変えさせて、それは4人の技術の高さと信頼感の賜物だと思っていた。胸をえぐるような歌詞も曲も、苦しみを皆で分かち合えるからこそのものだと思っていた。

壁の向こうに取り残された私たちは、その「壁」を越えたあなた達をどんな目で眺めたらいいんだろう。私はまだ、涙を流したのに、一つも実感がない。
貴方はいま、どんな気持ちでいますか。困ったことにただのひとつも想像がつきません。壁が邪魔なのかな。どうやって取り払えばいいんだろう。

あ、エデンは何年でも、何十年でもお待ちしておりますので!